[考えるキッカケ] 孤立というものを少し考えてみる

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最近、「孤立」という言葉をやけに頻繁に聞くようになりました。
一人暮らしの人が誰にも看取られる事無く亡くなってしまう「孤立死」や、20~59歳の働き盛りで未婚、無職の男女のうち、社会と接点がない「孤立無業者(SNEP)」という言葉などがあります。

「孤立無業者(SNEP)」を取り上げると、総務省が実施している「社会生活基本調査」という統計の匿名データに基づいて、「20歳以上59歳以下の在学中でない未婚者で、ふだんの就業状態が無業のうち、一緒にいた人が家族以外に一切いなかった人々(調査された連続二日間)」を、SNEPと定義している。

日本では「孤立」というのがどうも見えにくいのは「孤独」という言葉があるからとも言われています。

「孤独」というのは、単なる一人でいる状態のこと。(単なる見た目だけ)
「孤立」というのは、つながりが切れている状態のこと。(心理的にも途切れている)

上野千鶴子氏の「おひとりさま」シリーズが日本でもブームになりましたが、これは「孤独」が前提であるお一人様でした。なぜかこれが「孤立」と「孤独」を混同した「お一人様賞賛」になっていくのですが…。

ネット社会だから繋がりやすくなったかと言えば、実はそうでもない。SNEPの話に戻りますが、2011年の調査結果を見る限り、孤立無業者(SNEP)でネットを利用している人は半数もいない。代わりに多くの時間を費やしているのが、テレビと睡眠である。現実でもネット上でも人との交流が断たれている、そんな生活が長く続くことで、生活全般においてかなり消極的なものにしている。

ひきこもりやニートの問題は昔からイメージや感覚だけで語られ、そして間違った支援を行って取り返しのつかなくなった例も多くありました。孤立無援者問題は、厚生省の調査とその分析により初めてその実態が浮き彫りになったことで、今後はどのように支援したらいいか、対策したら良いのかというのが見えてきます。

若者の孤立は日本の社会にとっても大きな損失であり、これは「個人的」には解決できない問題です。
社会が現実に目を背けることなく、それぞれ一人ひとりがその人たちを認識し、受け入れることが第一歩です。結局、違いを認めて、色んな価値観を共有しあえることが「孤立」を防ぎます。

「家族」「学校」「会社」とかいう旧来の繋がりも必要ですが、それが無い人も多くいる現状、
そして上の3つには該当しない新しい繋がり「グルーピング」も必要だと考えています。

社会の繋がり自体の硬直化から「孤立」という誰ともつながれない現象が起こっているので、もう少し一段階下げた出入り可能な繋がり(居場所でなくてもいい)が求められています。
単なる「孤立」ではなく、それが社会に大きな深い影を残していることを心に留めて。

KYO*laboでは「枠にとらわれずに誰でも出入り自由に参加できる空間(居場所)」を提案しています。

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