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Huluの「だい!だい!だいすけおにいさん!!」で放送された「あたしおかあさんだから」の歌詞が、なにやら論争を巻き起こしているようですね。
私は番組はみていないので、歌詞を確認してみたのですが、確かに物議をかもしそうな歌詞ではあります。
作詞は、絵本作家ののぶみさん。
私は、のぶみさんの絵本を読んだことがないですが、「すくすく子育て」だったか(うろ覚えですが)Eテレの番組で、子供との遊び方を提案するプチコーナーで見かけたことがあるくらいです。
この歌詞をみて、その後に、だいすけおにいさんの歌声のものも確認したのですが、私が率直に感じたことを書いてみたいと思います。
目次
「あたしおかあさんだから」歌詞の感想
誰に聞いて欲しい曲?
だいすけおにいさんが歌っているということで、親子で聞いて楽しめる歌なのだろうと無意識に感じていたのだと思います。
最初に聞いたときに、「子供と一緒に聞くための歌ではないみたい」ということ。
のぶみさんは、「たくさんのママに聞いて欲しい」とtwitterで言っているので、お母さんに共感してもらうための曲として作られたようですね。
まず、その前提と認識した方がいいみたいです。
「あたしおかあさんだから」の繰り返しに違和感。
歌詞にかいてあることは、親として割と自然としてることだったりします。
全ての歌詞が、自分自身に当てはまることはないけど、これを自己犠牲というならそうかもしれません。
親は子供を育てながら、自然と忍耐・我慢が身についてくる部分もあると思います。
小さい子の場合は特に、子供のペースに寄り添うのが基本になってくるので、子育ては忍耐だなぁと感じることも多々あります。
だけど、私自身は、それを犠牲だとは感じていません。
私の場合は、高齢出産で授かるかもわからなかったので、望んでありがたいことに授かれてよかったという思いが、根底にあるからかもしれません。
とはいえ、4歳前で自己主張してくる娘にイライラすることもあるし、日々の小さいことで、「たまには、○○したいなー」と思うことはよくあります。
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最近では、「あったかいご飯をあったかいうちに食べたいな」と思いましたね。
帰宅後、急いでご飯を作り、娘に先に食べさせ始め、自分の食事の準備をして椅子に座って、これから食べるぞと思ったとたん、「おしっこでる」と言われてトイレに付き添う。
親だったらこんなことは、よくありますよね。
その間に、この寒い時期だと、あったかいご飯は少し冷え気味に。
一緒に食べはじめたら、「これ食べたくない」といいだして、説得しながら食べさせる。
食べが悪いと、介助してたべさせたりしているうちに、私のご飯はほとんど冷えた状態。
ごはんは、少し乾燥気味^^;
こういうときに、心の中で、「たまにはあったかいご飯をあったかいうちに食べたいよなぁ」と愚痴ります。
ため息は出ますが、「まぁ、こんなもんだよね」と気持ちを落ち着かせます。
この歌詞だと、そんなときに、「あたしおかあさんだから」と納得させているように思えます。
呪文のように。
でも、「あたしおかあさんだから」と言い続けて、自分の気持ちを抑え続けていると、いつか爆発しそうな気がします。
それで、日常に戻っていくのは、結果的に同じなのかもしれないけど、最後に「あたしおかあさんだから」で納得させ続けるとしんどいと思うんですよね。
私は、心の中でだったり、一瞬子供とはなれた隙にボソッと独り言で娘に聞こえないように愚痴り、発散して終わらせます。
そういう、完璧でない自分も認めます。
結果、気持ちを落ち着かせることができたら、それでいいと思うんです。
その時に、「あたしおかあさんだから」という呪文は、私にとって必要ないかなと思います。
だから、歌詞に繰り返しでてくることに違和感を覚えます。
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独身の頃の描写と今の比較に違和感。
独身の頃だと思いますが、「お母さんになる前一人暮らしをしてて、立派に働けるって強がってた」と いう歌詞があります。
この歌詞に出てくるお母さんは、そうなのでしょう。
でも、私自身は、OLの仕事をそれなりに楽しみ、自分の稼いだ給料で好きなものを買い、そういう自由を楽しんでいました。
「痩せてたのよ おかあさんになるまえ 好きな事して 好きなもの買って 考えるのは自分の事ばかり」という歌詞もあります。
人様にさえ迷惑をかけなかったら、自分の生活を楽しむことは、独身なのだからわがままではないと思います。
自分の事ばかりでも、別に問題ないと思うんですよね。
人によっては、親、兄弟、祖父母のこととか、若い頃から自分の事ばかりで過ごせない人もいるとは思います。
ただ、自分が自由に過ごしてきた事を、今と比較して、こんな風に恨めしく自分に罪悪感を感じさせるような表現にしなくてもいいのではと感じます。
その当時は、きっと楽しんでたんですよね。
それはそれでいいじゃないですか…と思ってしまいます。
なんか、後味の悪い歌詞なんです。
過去と今を比較して、過去は自分の事ばかりだったけど、それを全部やめて、今はお母さんになれてよかったってつなげる感覚に違和感を覚えます。
自分の過去を否定してからでないと、お母さんになれてよかったって思えないと誤解を生みそうな表現。
過去どのように楽しんでいてもいいじゃない。
過去がどうだろうと、今、なんだかんだ言ってもお母さんになれてよかったと自分が思えたらいいだけじゃないのかな。
独身時代や子供のいない時期をそれなりに楽しみ、親になって多少の忍耐や我慢をしながら、育児も自分を追い込んで苦しくなるほどの無理をしない範囲で楽しむ。
いつもいつもそんな心持ちではいられませんが、できるだけそうあれたらいいなと思います。
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歌詞の前半ほとんどがネガティブで、バランスが悪い印象
結局は、「おかあさんになれてよかった」と言いたいがために、前半があるのだと思います。
ただ、歌詞の配分が悪すぎて、「こんなに我慢してるんだ」、「お母さんはこういう生き物」だと押し付けがましく感じられる方が、印象に残ります。
歌詞の構成自体が悪いんだと思います。
「おかあさんになれてよかった」が前半にも入るような構成だと、もっと違った印象だったかもしれません。
それでも、歌詞の流れ次第によるのだとは思いますが。
「おかあさんになれてよかった」と思う具体例がないのも、致命的なのかもしれません。
どんな時に「おかあさんになれてよかった」のかも、入れてほしいですね。
応援歌として捉えられない
息苦しさやしんどさを感じてしまって、「いい歌!これから頑張ろう」って素直に感じられないのです。
あと、子供にも好んで聞かせたくないです。
子供は素直だから、お母さんこんなに我慢してて幸せなのかなと感じそうで。
娘にお母さんになれてよかったって伝えるのなら、もっと違う表現で伝えたいです。
今は、「お母さん、○○ちゃんのこと大好きだよ」で十分伝わっていると感じます。
「おかあさんになれてよかった」っていう主旨なら、歌詞の内容によっては、娘にも歌ってあげたい歌になりそうなのですが。。。
父親の存在が皆無。
この歌詞には、父親の存在がないですよね。
「ワンオペ育児」のおむつのCMもそうでしたね。
子育ては、母親だけがするものっていう意識が流れているように感じます。
だからこそ、この歌詞のお母さんに、自分だけが我慢しているんだという悲壮感を感じてしまうのかも。
現実的に、ワンオペ育児の方は多いと思いますが、そういう方たちがどのように感じるのかも聞いてみたいですね。
もし、共感できる人がいるのなら、そういう余地のある歌詞なのかもしれません。
私は共働きで、夫も自営で比較的自由がきく仕事のため、協力しながら家事・育児全般をしています。
家事・育児を丸抱えでされているお母さんの気持ちは、想像でしかわかりません。
だから、この歌詞は私には共感しにくいけど、共感できる人もいるだろうという想像力は必要だと思っています。
(おまけ)どうして一人称が「あたし」なんだろう
私は、自分のことを「あたし」といった事がないので、そこにも若干の違和感があります。
自分の周りにも、そういう人がいなからかもしれませんが。
親に、「あたし」じゃなくて「わたし」って言うんだよって、言われた記憶もぼんやりあります。
だから、なんとなく「あたし」にちゃんとしていない印象をもっていますが、これは個人の自由だと思うので、使う人にとやかくいうつもりはありません。
単純にそう思うというだけの話です。
だから、(おまけ)にしました。
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だいすけお兄さんの歌を聴いた感想とこの記事のまとめ
のぶみさんは、この歌詞は、お母さんたちの意見を元に作られたとおっしゃっていました。
でも、焦点を当てる部分が違ったのかもしれません。
なんとなく、「共感できるでしょう、ドヤっ」と言われているようなあざとさを感じてしまうんです。
ちなみに歌詞を読んでから、だいすけおにいさんの歌をきいたのですが、少し印象がソフトにはなりました。
だいすけおにいさんの人柄や表現力だと思います。
ちなみに、夫は、「これは、言葉の裏にある幸せを表現した歌じゃないの?」と言っていました。
長くなりそうなので、深く話してはいませんが、捉え方って人によって異なるもんだなと思いました。
のぶみさんは男性なので、それも関係しているかもしれませんね。
それにしても、表現にセンスを感じられないんですよね。
ただ事例をつなげただけの歌詞というか、プロっぽい要素を感じないというか。
もっと、ポジティブな部分も取り入れた「子供のこういうところがかわいいのよ」って思える共感できる歌詞だったら、違ったものになったかもしれませんね。
少し辛口になってしまいましたが、お読みくださりありがとうございました。