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俳優の高橋一生さんはトイレ掃除にこだわりがあり、なんと素手でするそうです!
人によっては、抵抗感を持ってしまう素手でのトイレ掃除。
どうして高橋一生さんは、その習慣が身に付いたのでしょうか?
また、実際のところ、素手でトイレ掃除って大丈夫なのかを調べてみました。
高橋一生が素手でトイレ掃除をする理由は?
高橋一生さんが、素手でトイレ掃除をする理由は、お母さんの教えだそうです。
以前(2017年)、週刊誌で以下のようにコメントしています。
汚いところとキレイなところの差が激しいんです。
ベッド周りは汚くなるまで放置してしまうんですけれど、トイレだけはものすごくキレイです(笑)。
なぜなのかは分からないんですけど、トイレが汚いのだけは許せなくて。
母親にずっと“手で洗え”と言われてきたので、素手でトイレを洗っています。
これは昔から家族全員言われてきた、母親からの教えです。
引用:週刊ザテレビジョン PLUS
このトイレ掃除に関しては、2019年2月25日のしゃべくり007で、新たに詳しく話をしていました。
その時の会話の流れは、以下のような感じでした。
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(トイレを)手で洗うの?
手洗いだと、手で雑巾をかけて?
手で汚れを取ってます
えーっ!!
洗剤とかも使わないの?
洗剤はつかいますけど、手でこう(手で拭く身振り)。
(川口春奈が、えーっという複雑な表情)
聞いたことはないよね、そんな話ねぇ。
汚れはやっぱり届くので。
スポンジとかよりやっぱり、汚れに手が届く。
スポンジでも、ビヨーンって入るじゃないですか?
あぁ、まぁ、入るは入るんですけど、汚れとかの感覚(がわかりやすい。)
気にならない?洗った後(の手が)?
でも、自分からねぇ(自分からでた排泄物だからねぇというニュアンス)
いや、そうだけど…
最初なぜ手でやろうと(思ったの)?
祖母です。
祖母が、絶対に手でやれって。
へぇー
僕も、ほんとに最初は嫌だったんですけど。
汚れは取れるんですよね、確かに。
でも、普通に泡立てても取れるじゃないですか?
取れるは取れるんですけど。
例えば、裏側にこびりついちゃった、便座のふちのところとか。
きれい好きだから。
しょっちゅうやってるから、そもそも汚れてないんでしょ。
でもやっぱり、手はもちろんちゃんと洗いますけど。
掃除したあとは。
これは、なかなか聞かないこだわり。
まぁまぁ、それぐらい逆にきれい好きなのかもしれませんけどね、高橋さんは。
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祖母から、母へ、さらにその子供へという、家での決まり事のようですね。
身近な人から教えられたことって、生き方の基本になりますよね。
選ぶ余地のない習慣として身に付いたことなので、高橋一生さんが、素手でのトイレ掃除に抵抗がないのも納得です。
むしろ、普通のこと、当たり前のこととしてとらえてる感じですね。
それでも、最初は嫌だったみたいですが^^;
親から何を教えられるか、子供に何を教えるかって、大きなことなんだなと実感するエピソードでもありますね。
でも、実際のところ、私はちょっと抵抗を感じます。
私は、高橋一生さんは、俳優としてとても好きです。
「僕らは奇跡でできている」というドラマはとてもよかったですし、今まで沢山のドラマでいい立ち位置の俳優さんだなと思ってきました。
ただ、主婦の立場で考えると、「その手で料理をするのがちょっと無理…」と感じてしまいます。
人様が、人様のポリシーでやっている分には、全然かまわないんです。
それに干渉をする気はありません。
私は基本面倒くさがりなので、合理的に考えて、汚れた手を徹底的にきれいにするのが面倒なので、極力汚したくないという心理が働きます。
そういう発想なので、素手でのトイレ掃除は、その合理性に反します。
それを考えると、高橋一生さんは、面倒くさがりではないきちんとできる人なのかもしれませんね。
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素手でのトイレ掃除を推奨する人生哲学って何?
高橋一生さんが、トイレ掃除を素手でする理由は、祖母や母の影響ということがわかりました。
実は、世の中には、素手でトイレ掃除をすると、経営が上向くなどの経営哲学があったりします。
イエローハットの創業者、鍵山秀三郎氏が提唱されています。
そうじに取り組むことが、社内の雰囲気を変えていき、業績も上がっていくということ自体は理解できます。
でも、素手である必要はないのかなと、私は感じますね。
人が嫌がることに率先して取り組むことの精神性の向上とか、そういうことはわかるのですが。
素手でも手袋をしていても、どちらでもいいのではないかと。
でも、素手で取り組むことでの高みがあるのかもしれませんね。
そこは、とび越えて実行した人にしかわからない境地があるのかもしれません。
経験した人にしかわからない、なにか達観したものがあるのかもしれませんね。